山本 雨季 / UKI YAMAMOTO

画家 / painter

Wakayama,Japan.

 

女夫で絵画を制作しています。現在の本拠は紀州和歌山。

当世の日本という空間の本質から、ひいては決して少なくない人々の認識の中から、じわりじわりと少しずつ忘却されつつある「モノ」や「コト」を中心に描かせてもらっております。


永劫不変などという観念は、所詮どこか戯言めいた幻想に過ぎないものです。

たとえ盛者とて必ず滅びゆくのが世の理。故にうつろいのままに忘れ去られ、やがては消え逝く「モノ」や「コト」が増えるばかりで一向に減らぬ無くならぬというのも致し方のないこと。尤もらしく憂えてみても結局のところは詮無い話なのかも知れません。殊にその幕引きの瞬間を一切思い描かれることもなく、まるで絶対不可侵の聖域の如く存在する「現代」なる概念がこの世の先端に歴然として君臨し続ける限り、「現代」にそぐわないと判断された「モノゴト」は、一般認識からのほぼ無意識的な忘却という形を以て今後も益々容赦なく排斥されてしまうことでしょう。

 

けれども、そうやって葬り去られつつある「モノゴト」の多くには、たとえば消え入る刹那の雨音にも似た至極果敢なげな趣や、終焉という名の深淵にその身の大半が没してもなお、幽かに仄めく無二の美が確と認められるはずです。勿論それらが本来的に有する機能の魅力と共に。

 

私たちはそういった対象を、敢えて個人ではなく、二者共同の筆によって絵の内に描きとどめていきたいという思いに至りました。

 

あまねく誰もが如実に感じているように、末期的な迄の個人主義と、多分にそれに影響されながら悪化を遂げた孤独の病に「現代」の日本は酷く蝕まれています。歪に肥大した我慾や私利、そして自覚なきまま何よりそれを後生大事にする人々の増加。そもそも「ヒト」とは常に自身以外の他者と共に在る「モノ」――そんな当たり前の「コト」すらをも忘却の彼方へと追いやってしまった「現代」における「個」の毒気は、数多くの人心に深刻なる「孤」の闇をもたらしました。すぐそばに耳を傾けてくれる隣人がいたとしても、理解者など何処にもいないと錯覚してしまいかねないような独りぼっちの闇を。

 

だからこそ、絵画を通じて「現代」と対峙するに及び、決して己のみでは成立し得ない「合作」という体制に私たちは大きな「可能性」を見出したのです。1+1の「和」を以てすれば、その「和」を尊ぶ心を以てすれば、描画すべき対象の吟味はもとより、暴走した過剰な自我や肥大した我慾が放つ「個」の毒を制することも障りなく叶うのではないでしょうか。ともすれば、こうした「和」による行動乃至それによって生み出される作品の中から、その実すでに爛熟していながらも、いまだ盛者必滅の理に抗い続ける「現代」という概念を超克する鍵が見つかるかも知れない――私たち二人はそんなことを思案しつつ、今日もまた共に「和」の筆を執るのです。

 

 

山本 雨季